夏が始まったらしい

海岸近くでもないのに、外にいるだけで体がべたついている。

何となく腕が痒いと思ったら、小さいあいつにやられた跡が丸くぷくっと膨れている。

昨日からか一昨日からか、分からないが気付いたら蝉の声が聞こえている。

 

どうやら、夏が始まったらしい。

 

私の地元の神社では、毎年小さなお祭りが開催される。小さい、と言っても都会の真ん中にある神社のために面積が狭いというだけで、クオリティとしてはそれなりに高いお祭りだと思う。

駅から家の帰り道にあたるその神社から先ほど、太鼓を練習する音が聞こえてきた。この音が毎年夏に鳴るということを私は、毎年音が聞こえてきてから思い出す。そして毎年これを聞くと夏だと感じる、ということも、毎年音が聞こえてきてから思い出す。

どんちゃんどんちゃん、いつも10日ほど前から鳴り出すこの音だけを聞いていると、ここが都会であること、神社のすぐ側に片側二車線道路が通っているということ、その近くには背の高いビルがあることを忘れてしまう。

少しうるさいが、気づけばこの音は私の大好きな音の仲間入りをしている。

 

もう私は、家から遠くの大きなお祭りに行くようになった。浴衣を着て、花火の見える、人で溢れかえったお祭り。

小さな子どもと地元の関係者ばかりのこのお祭りを私は、今年も音だけで楽しむのだろう。

私の好きなもの

週刊少年ジャンプが本屋の袋にぴったり収まるのが好きだ。

柄シャツを1番上まできちんと止めているスタイルが好きだ。

寒い日に外でホットレモンを飲んだときに喉や胸を通るのが分かる感覚が好きだ。

自分の書く「評価」という文字が好きだ。

iPhoneのイヤホン同士がぶつかったときに鳴るカチカチッとした音が好きだ。

猫の毛が好きだ。

固めのプリンが好きだ。

信頼のできる友人が好きだ。

 

好きなものは、たくさんある。

見えるか見えないか、気付くか気付かないか微妙なラインにいる好きなものはきっとこの世に山のように存在する。

それに気付くたびに私は少し微笑んでしまう。幸せの最小単位は、このラインの好きを見つけるということではないのか、と私は思う。

 

今日みつけた最小単位は、

思いがけずふかふかのソファーに出会った瞬間が好きだ。

ということだ。

 

まるで東京タワーのような

梅田のヘップの観覧車は、ある地点からだと綺麗に真横から見ることができる。

その場所にはうまいことベンチがあって、それを眺めながらたそがれることができる。観覧車を真横から見ると、縦長で薄い。そしてヘップの観覧車は、真っ赤な観覧車だ。その場所から見えるそれは、まるで東京タワーのようであるのだ。

毎日歩く通学路で、不意に顔を左に向けると私はそれを見つけた。初めて見たときは、実は泣きそうなほど感動した。夜のヘップの観覧車は黄色い明かりがいくつもいくつも点いていて、観覧車の回転に合わせてそれがうまいこと消えたり点いたりして見えるのだ。真っ正面から見た場合には絶対に起こらない現象である。真横だと骨組みや箱が邪魔をして、そう見える。真っ赤な鉄に無数の黄色い電球は、夜の梅田によく映える。私はこの光景が、大好きなのだ。

梅田の夜に、JRと阪急の乗り換えを行うときがあれば、ルクア近くでいちど顔をヘップに向けてみてほしい。私のいう東京タワーの意味がきっと分かるだろう。

幼なじみポジションは最強説

恋人が欲しい

とまあいろんなところで聞く。私も言う。しかし近ごろ思うことは、

 

幼なじみで仲の良い男友達が、欲しい。

 

ということだ。男友達は誰にだっているだろう。しかし、何でもできる、何でも言える男友達となるとかなり人数が絞られないだろうか。私の妄想によれば、幼なじみというポジションはかなり、おいしい。そういうわけで幼なじみで仲の良い男友達がいる生活を羅列してみる。

 

まず第一条件として、その幼なじみはフットワークが軽い。突然誘ってもだいたい予定は空いてるし、短時間でも無理を言うと合わせてくれる。私はただの友人だから何の気を遣うこともなく、「ご飯行こうー」などと適当に誘う。そして、ご飯はだいたいラーメンかその辺の居酒屋だ。いつでも会えるし特別でもないのでわざわざ店を予約したり、なんてことはない。ちなみにこのときは彼には恋人がいてもいい。しかし私はなんの恋愛感情も抱かないのでなにも問題ない。私はきっと彼氏の前じゃ少し食べづらいような全部のせ大盛り油そばを注文し、髪の毛をゴムでまとめて麺を口に入れてゆく。

そしてそのあとはわりとすぐに解散だ。理由はこの幼なじみは恋人と夜に電話をする習慣があるから。やっぱり恋人との時間は大切にしなくちゃいけない。私たちは「じゃあまた〜」と、軽いようで次が約束されている挨拶を交わして別れる。

 

あれ?あそこはカップルなのか?

と周りにあれこれ詮索されることもないから友人はいいものだ。昔からずっと仲のいい私たちは、彼に彼女がいても、私に彼氏がいたときでも、普通に友人関係があった。もはやその仲よさは仲間内でも公認で、怪しまれることも疎まられることもない。

 

私の恋愛相談にもできれば乗ってほしい。

私に彼氏がいたならば、その相談をしたい。最近返事が遅いだの、電話の電波が悪すぎるだの、惚気の入り混じる小さな愚痴を聞いてほしい。友人は私の話をはいはい、と受け流しながらも笑って聞いてくれる。最終的にはいつも、「でも結局幸せなんでしょ?」なんて言って彼氏への愛を再確認させる業務までこなす。

 

あとは一緒に音楽フェスに行きたい。幼なじみ数人、男女数人で野外フェスに行きたい。好きなバンドがそれぞれ違うので、始まると別行動が始まるのだが私とその幼なじみはずっと同じ音楽を聴いて育った。もう好みがぴったりなのだ。だから私と幼なじみは自然と共に行動する。わけわからないくらいにテンションをあげて、汗だくでフェスを楽しむ。飲み物が無くなりかけた頃にしれっと新しいペットボトルを渡してくる。柑橘系で炭酸が弱めのマッチが私の好みだということを幼なじみは当たり前に知っている。「あーあー、あんたが彼氏だったら最高なのになぁー」なんておどけると、なんとも言えない顔で自分の飲み物を飲むのだ。

 

そんな幼なじみから突然電話がかかってきて、次はなんの漫画を貸してって言ってくるのかなーなんて想像してたら、まさかの電話越しで泣いている幼なじみ。突然のことに驚くと、どうやら彼女と別れたらしいのだ。かなり落ち込んでいる。私がこの幼なじみを頼るのと同じように、こいつも私を頼っている。もはや家族だなと、出会ってから15年で何度も私は思うのだ。

 

最大の理想を言えば、彼氏がいない私の彼氏代わりに花火大会に一緒に行きたい。花火大会の日は一応バイトを入れなかったものの、周りの女友達は恋人持ちばかりでどうせ行く人がいないので、家でだらけていた頃。幼なじみからLINEの返信が。

「花火、みたくね?」

ああ、こいつは彼女と行く気だったから予定を空けてたんだ。調子に乗って浴衣を買うといって、3週間ほど前に浴衣選びに付き合った。悩んだ挙句、最終的にはかなり私の好みの浴衣を選んでしまったのだが。

「みたい」

一言だけ返信して私たちの予定は決まった。向こうが着てきやすいように私も浴衣を着る。浴衣姿なんて小さな頃に何度も見せているからもう幼なじみは私の浴衣に萌えるなんてことはないのが少し、虚しい。

小さな頃に何度も仲間内で一緒に行ったいちばん地元の花火大会に、2人で行くのは何気に初めてだ。私たちは手を繋ぐことなんてなくただ出店を楽しみ花火を楽しむ。ああ、何度みても、どんなシチュエーションでみても、結局花火は美しい。

 

帰り際、幼なじみが不意に立ち止まる。「ん?」と振り返ると、鼻をかいている。幼なじみが緊張しているときによくするクセだ。なにに緊張しているのかと聞こうとしたそのときに

「浴衣着てるの、可愛いわ」

と突然褒めてくる幼なじみ。どうしたどうした、何度も見てるじゃん、と茶化すと、顔を赤らめる彼はなんだかいつもよりも男に見えた。私もだんだん赤くなっていることに気付く。今年の夏は、何か始まりそうだ。

 

 

 

だめだ、途中から妄想を越えて物語を作り出してしまった。それに結局幼なじみとどうにかなりたいという下心が出てきてしまった。もう恋人でも幼なじみでもいいから心が満たされる出来事が欲しいだけなのだな、私は。

月末には

5月が終わる。あっっっと、いう間だった。

あと2ヶ月足らずで私はまた1つ歳を重ねる。あと2ヶ月なんて、何もできない何も変わらないこんなままハタチという節目の1年が終わってしまうのかとずっとこの頃焦っている。

しかしふと、自分の2ヶ月前、3月のことを思い出してみた。正直その頃には、5月の自分が今の自分のような感情を抱いているなんて微塵も想像していなかった。聴いている曲、頑張りたいと思うこと、明日の予定、想いを馳せる人、その全てが、2ヶ月前に想像していたものとはまったくの別物だ。

だからここから21歳までの2ヶ月で、案外私は変わるかもしれない。あと2ヶ月しかないから何もない、ではないのだ。あと2ヶ月あるから何かをしよう。短いようで意外と長いのかもしれないのだから。

 

昨日、授業の発表で誰かが言っていた。

「なぜ歴史を学ぶのか」

過去にあった出来事を踏まえて、何が悪かったのか、これをより良くするにはどうしたらいいのか。それを考えるために過去を学ぶのだ。

と。

 

なるほどな、と思った。

この1週間何もしなかった、

この1ヶ月何もなかった、

この1年私は何をしたのだろうか、、、

 

そうなりそうなときには、同じ時間ぶんだけ手帳を、記憶を、遡ってみることにする。きっと何かは変わっているはずだ。それに気づくことができたなら、今日を明日を明後日を、ほんの少しだけ頑張ろうと思える気がするのだ。

女子の前髪問題について

前髪ぱっつん系女子は一生、前髪かきあげ系女子には勝てない。と思う。

 

前髪かきあげ系女子は、道端アンジェリカとか長谷川潤とかを代表とする大人キレイ系だ。前髪を伸ばしてなんかこう、フワッと盛り上げている女子だ。この女子(大学生と仮定する)のだいたいはヒールを履いている、マツエクをしている、英語に興味がある、もしくは話せる、革のバッグを腕に引っかけている、のどれかにはほぼ当てはまる。

 

一方の前髪ぱっつん系女子。ここにオン眉女子も含むこととする。すこし重めの前髪でキレイさよりも可愛さが勝つタイプだ。前髪が重すぎて目のあたりがよく見えないので、雰囲気だけでなんとなく可愛く見えちゃうタイプだ。

 

確かに、ぱっつん系女子は可愛い。というか私は好きだ。というか私がそれだ。ぱっつん系女子だ。生まれてこのかた、かきあげたことは一度もない。

ぱっつん系女子は普通に可愛いし、男ウケもいいのでは?と思う。だが、かきあげ系女子と出くわしたとき、どうしても負い目を感じてしまうのだ。なんか絶対に美人だし、化粧上手だし、どことなく気がキツそうに見えてしまうために

え?怒ってる?

と思ってしまう。他人であってもトイレなんかで出会ったときなんかは私はサッと目をそらす。もしくはバレないようにその整った顔を見る。

こんなことを思うのは私だけなのだろうか?かきあげ系女子ってだけで人生なんとなく勝ち組に見えるのは私だけなのだろうか?

 

じゃああなたもかきあげたら?

と、言われるのだろうか。私は、かきあげれる人は選ばれし者だと思う。前髪をかきあげる=顔が全開になる、ということだ。おでこが広すぎるとか狭すぎるとか、そういう悩みがある私には事実上不可能なのだ。目があまり好きじゃなくてできる限り目立たないようにしたいとかだってあるだろう。コンプレックス丸出しになんて、できればしたくない。こんなことを言うと、「私はぱっつんが似合わない」なんて言われる。しかしそのたびに、そんな人果たしているのか?と思う。その人が長年かきあげているから、ぱっつんだと違和感があるだけで似合ってないわけではないんじゃないだろうか。かきあげが似合う人はぱっつんでも似合うのだ。だって長年かきあげてたところでおでこが狭くなるわけでもない。顔は変わらないのだ。こちとら違和感どころではないコンプレックスを抱えているのだ。

 

1人ヒートアップして話がずれてしまった。

しかしぱっつん系女子として、これは一生の課題だ。かきあげ系女子を見ても引け目を感じない自分にいつかなりたいものだ。

きっと幸せな夜

何もかも
なんでもよくなる夜がある。

夜だからそう思うのか、夜ならそう思ってもいいと思うからなのか、まだ分からない。
夜が怖くなくなったのは
いつからだろうか。
夜を楽しむようになったのは
いつからだろうか。

 

歌いながらでも
星を眺めながらでも
自転車を漕ぎながらでも
フラフラと帰っている時間が

わりと、好きだ。

夜中に友人から電話がかかってきた。
終電を逃して歩いている、と。
暇だからビールとつまみを買って歩いている、と。
羨ましくなった。なんだか大人みたいだ。実際にはもう大人なのだが、私はまだ、精神的には子どもだ。だからそういう、小さなことで大人みたいだと思ってしまう。その時点でかなり子どもだ。少し背伸びをしたいだけなのだ。

 

そう、いつだって少し背伸びがしたい。少しだけ。似合わないほどのお洒落な服を買ってしまったり、クレジットカードで支払ってしまったり、哲学の本を買ってしまったり。

そんなことが背伸びと思える年齢にまだいるなんて、きっと幸せなことだ。

 

今日の夜はなんだか気分がよかった。

昨日の帰り道が少し幸せだったからだろうか。それとも今日のアルバイトが楽しかったからだろうか。はたまた明日が休みだからだろうか。いずれにせよ気分のよかった私は、アルバイト先でもらったコアラのマーチをぱくぱくと口にしながら、上を眺めていた。ダイエット中だとか、どうでもよかった。これも夜のせいにしておこう。それに空は、曇天だった。星が見たくて上を向いたが灰色が広がるばかり。

それでもこんなに気分がよかった。小さな幸せだ。

 

まだ私の帰り道には、ビールとつまみは似合わない。コアラのマーチくらいで充分だ。